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善竹能舞台の来歴

能楽師狂言方 大蔵流:
「善竹(ぜんちく)」の門閥

各家の系譜(相関図、敬称略)

善竹彌五郎の系譜(※抜粋。太枠内が高和会善竹能舞台関係者。)

 

善竹家の歴史 ―善竹彌五郎の系譜―

ルーツ

 「善竹(ぜんちく)」の姓は、1963(昭和38)年に、金春流宗家より、茂山久治(後の善竹彌五郎師)の古今まれな至芸と能楽界への絶大な功績をたたえ、贈られた姓です。世阿弥の娘婿であった「金春禪竹(こんぱるぜんちく)」に由来すると言われています。善竹家のルーツは、遡ると茂山忠三郎義直師にたどり着きます。
 かつて茂山久蔵英政師(茂山家八代)の後継者が途絶え、大蔵虎文師門人の佐々木忠三郎師(茂山千吾のち、千五郎:井伊家御抱狂言方)と、おなじく門人の小林卯之助師(茂山忠三郎義直:禁裏御用狂言方)に「茂山」の名を継がせた折に、二つの系統に分岐しそれぞれが発展しました。善竹の家系は小林卯之助師の流れを汲みます。
 茂山久治(後の善竹彌五郎師)は、茂山忠三郎義直師(小林卯之助)の孫にあたり、茂山忠三郎良豊師らから教えを受けました。後になって茂山久治は家督を弟(茂山忠三郎良一師)に譲り、善竹の家門を興しました。このため善竹彌五郎の血統に属する私どもは、舞台の上では本名の「茂山姓」ではなく、「善竹姓」を名乗っています。

善竹彌五郎の流れを汲む者

 善竹彌五郎師には、5人の息子がいます。長男忠一(後の善竹忠一郎師)、次男吉二(養嗣子として大蔵流宗家に入る、第二十四世大蔵流宗家、大蔵彌右衛門師)、三男喜三(後の善竹玄三郎師)、四男幸四郎(後の善竹幸四郎師)、五男圭五(後の善竹圭五郎師)です。
 現在、彌五郎の孫の世代が6人、曾孫の世代が9人と後継者が育っています。


狂言方は「○○家」という構成単位で活動することが多く、どの「家」に属するかが重要な概念となっています。

朝日新聞《昭和38(1963)年11月27日》

当時の新聞記事および、

改姓の通知書

サンケイ新聞《昭和38(1963)年11月25日》

改姓の通知《昭和38(1963)年11月》

善竹玄三郎家に受け継がれる芸風

三世代の同居

☞日常の中から口承される芸(口伝・秘伝)

 善竹玄三郎家は善竹家一門の中でも唯一、親子三代・二世帯が同居しています。日常生活の中で、芸能談義が急に始まり、時には演目の解釈などの疑問を解決したり、善竹の始祖、彌五郎師の狂言に懸ける信念や情熱についての問答など、平素の何気ない雑談の中から芸を深める機会が多くあります。
 役柄や演目の「解釈」において、このような日常の中から口承される「口伝」「秘伝」が活きてきます。善竹玄三郎家では、伝統芸能の口承にもっとも重きを置き、芸能の「質」を高める事に、日々取り組んでいます。

狂言以外の伝承

 善竹玄三郎家では、狂言の伝承以外にも、彌五郎師より伝わった一族の資料(書簡、写真など)・作法・儀式・古式に則った装束の寸法(型紙など)、製作技法等の保存・継承に努めています。特にユニークなのは、善竹彌五郎師の妻、初音氏が得意とした「豚」を使った料理のレシピが伝えられていることでしょう。この豚料理は、先代大蔵流狂言御宗家 第二十四世大蔵彌右衛門師、東京の善竹圭五郎師(いずれも故人)が玄三郎家滞在の折にも、食事として供されましたが「大変、懐かしい味だ。美味しい。」と、大層喜んで召し上がりました。
 5人の息子を育て上げることに、彌五郎師の妻、初音は大変な努力を要したのではないでしょうか。この豚料理には、5人の育ち盛りの男子を育て上げるための創意工夫があり、苦労が偲ばれます。
狂言の継承というと、ともすれば「男系の仕事」のみが注目されがちですが、このように善竹玄三郎家では、男達を支える「女系の仕事」も脈々と受け継がれています。


余談ですが、「女系の仕事」には管理人も詳しく知らない技術の伝授(管理人の母から管理人の妻へ)があると聞いています。

大阪府高槻市に在住

 善竹玄三郎家は、善竹彌五郎師疎開の頃から縁のある土地、高槻にあり、周囲には、自然豊かな山や川、田園があります。また高槻市街へ出ると大阪市、京都市にも移動しやすい、交通の要所でもあります。
 善竹玄三郎師とその妻ツルの地道な努力と功績により、この地に総檜造りの能舞台が1965(昭和40)年に建設されました。他にも装束、道具類が製作され、大蔵流狂言180演目すべてが演じられる「御道具」(器財)が揃えられています。それらの「御道具」(器財)は演じる者の感覚を活かした独自のアイデアとデザイン、それらを実現できるだけの技術が相まって、様々な工夫を凝らしたものとなっています。
 また、その意匠や製作ノウハウの一部は各善竹家や大蔵宗家にも提供されています。

善竹能舞台について

 善竹能舞台は総檜造りとなっており、鏡板はツルが師事した井上正晴画伯の揮毫によるものです。また、通常の能舞台では舞台の床下には大きな甕(かめ)を配置しますが、善竹能舞台の床下は、すり鉢状(ドーム状)にすることで、音響効果を得ています。
 善竹能舞台の建設にあたり、善竹彌五郎師は「舞台の柱は、角のない『円い柱』にしてはどうか。また、お客様を見下ろすのはよくない。舞台の高さは『床の間の高さ』程度が良いであろう。」と指示をしたと伝えられています。
 建築構造上、「円柱」は実現できなかったのですが、善竹能舞台の高さは床の間の高さとなっています。善竹彌五郎師の着想の豊かさと、「和」を尊ぶ精神がうかがえるエピソードではないでしょうか。
 

一般社団法人高和会善竹能舞台の設立

 善竹玄三郎師は、高槻の地に於いて長年にわたり高和会を主宰し、大蔵流狂言の普及に努めて参りました。「高和会(こうわかい)」は、善竹彌五郎師が主宰した「和合会(わごうかい)」の「和」と、高槻の「高」をとり、善竹彌五郎師が命名したものです。また、高和会発祥のころから奈良県(大和)御出身の社中が多く在籍されたことから、「高槻」と「大和」の「高」と「和」を併せ持つ名称でもあります。
 
 2010(平成22)年5月31日(月)善竹玄三郎家は、この「高和会」の名を冠した、一般社団法人高和会善竹能舞台を設立しました。
 
私ども法人は、

    1. 日本に古来より伝わる芸能である大蔵流狂言、及び大蔵流狂言に関連する物事を承継すること
    2. 承継する無形、若しくは有形の資産を保護し、「ユネスコによる人類の無形文化遺産」として、その名に恥じることのない日本の伝統芸能大蔵流狂言を、日本国民、及び世界人類に普及させること

を目的としています。微力ながら、皆さまに喜んでいただける舞台を提供できるよう、また大蔵流狂言と能楽界の発展に寄与することができるよう、鋭意邁進して参る所存です。


参考資料:善竹玄三郎の描いた「家系図」

善竹家「家紋」について

善竹家家紋:『竹輪に並び鷹の羽』紋 創成の経緯

善竹家家紋はいかにして創成されたか


 

善竹彌五郎師の願い

「善竹家」の家紋の創造

 善竹家を興した善竹彌五郎師の願いの一つは、「善竹家の家紋を創成すること」でした。彌五郎師は「自分自身と妻、5人の息子をモチーフとした家紋」の創成を願いとしていました。

彌五郎師の草案

 当初、彌五郎師は「二つ巴」(彌五郎自身と、妻初音を象徴する)と「五本の矢」(五人の息子を象徴)を組み合わせた図案(「左二つ巴に五つ矢」紋)の構想を持っていました。
 昭和38年、彌五郎師はその構想を玄三郎師に託し、他の兄弟たちに諮るよう指示をしました。玄三郎師は、兄の忠一郎師(初世)に意見を求めますが、「矢」は戦に用いる「武器」であること、また「巴」は火を表すことから、「(戦、争いを連想し)不穏当である」とされ、この案は却下されました。(初世 忠一郎師は、独自に竹林家家紋を定紋とされていた経緯もあり、善竹家家紋の創成に積極的でなかったと推測されます。)
 その後、彌五郎師がこの世を去り、家紋を創成するという試みは、いったん立ち消えになりました。

忠一郎師(二世、孝夫師)からの要望

 1991(平成3)年9月25日(水)、忠一郎師(二世、孝夫師)からの要望を受けて、玄三郎師は再び善竹家家紋の成案化(図案化)を推し進めることになりました。この時玄三郎師は、兄弟である各当主に家紋を再考するよう要請しました。この時出された原案(提案)は以下の通りです。

    1. 忠一郎師(二世、孝夫師)案
      • 「丸輪」に「並び鷹の羽」を組み合わせた図案
    2. 吉次郎師(第二十四世 大蔵彌右衛門師)
      • 先祖の一人が家紋を変えて失明したとのことで、辞退される
      • 小林卯之助(桔梗の家紋) → 茂山に改姓(隅切り角と桔梗を「細桔梗」にして組み合わせたもの。)
    3. 玄三郎師案
      • 「竹輪」に「桔梗(小林家の紋)」を組み合わせた図案
    4. 幸四郎師
      • 家紋の制定には関与されず
    5. 圭五郎師案
      • 「竹輪」に「並び鷹の羽」を組み合わせた図案

結論として

 玄三郎師の「竹輪」と 忠一郎師(二世、孝夫師) の「並び鷹の羽」を組み合わせた折衷案(圭五郎師の案)が採択されました。
 「鷹の羽」が金春家家紋に通じること、彌五郎師が淀藩士 竹林𠮷武氏(弓道師範 竹林家)の流れを汲むことから、矢に用いる「鷹の羽」がふさわしいと考えられました。
 また「五つの竹の節目」が、善竹の「竹」、彌五郎の遺志に基づく「五人の息子を象徴したモチーフ」になっている事から合意に達し、1993(平成5)年3月17日(水)に『竹輪に並び鷹の羽』が成案化されるに至りました。

『竹輪に並び鷹の羽紋』の各部が象徴する意味

 各部の象徴する意味は以下の通りです。

    1. 並び鷹の羽
      • 「善竹」姓は世阿弥娘婿「金春禅竹」に拠り、金春宗家より頂いたものであることによる。
    2. 左上部の節 → 忠一郎師
    3. 頂点の節  → 吉次郎師(第二十四世 大蔵彌右衛門師)
    4. 右上部の節 → 玄三郎師
    5. 右下部の節 → 幸四郎師
    6. 左下部の節 → 圭五郎師

各部の配置の意味

 竹の節の位置と、5人の息子の関連については「十二支」を用いた方位に対応しています。

 

    1. 忠一郎師
      • 「戌年」の生まれであるので、「戌」の方向(左上)
    2. 吉次郎師(第二十四世 大蔵彌右衛門師)
      • 「子年」の生まれであるので、「子」の方向(頂点)
    3. 玄三郎師
      • 「寅年」の生まれであるので、「寅」の方向(右上)
    4. 幸四郎師
      • 「辰年」の生まれであるので、「辰」の方向(右下)
    5. 圭五郎師
      • 「午年」の生まれであるが、本来の「午の方向」(真下)ではなく、残る節(左下)に対応します。

参考資料

    • 善竹彌五郎師の意趣、意向を受け、善竹玄三郎師が作成した図案数点
    • 善竹忠一郎師(二世、孝夫師)から善竹玄三郎師に宛てた書簡及び図案
    • 善竹圭五郎師から善竹玄三郎師に宛てた書簡及び図案
    • 善竹玄三郎師の備忘録(通称:閻魔帳)

参考文献

    • 丹羽基二著,樋口清之監修:「家紋大図鑑」(第7版),秋田書店,1975.
    • 辻合喜代太郎:「カラーブックス286) 日本の家紋」(重版),保育社,1978.